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福岡高等裁判所 昭和60年(ネ)330号 判決

第三四七号事件控訴人、第三三〇号事件被控訴人(一審原告) 木田明夫こと後藤賢二

第三三〇号事件控訴人、第三四七号事件被控訴人(一審被告) 国

代理人 糸山隆 調所和敏 西村千先 ほか三名

主文

一  第一審原告の控訴を棄却する。

二  第一審被告の控訴に基づき原判決中第一審被告敗訴部分を取り消す。

三  前項の取消しにかかる第一審原告の第一審被告に対する請求を棄却する。

四  原審における訴訟費用中第一審原告と第一審被告との間に生じた分及び当審における訴訟費用は全部第一審原告の負担とする。

事実

一  当事者の求めた裁判

(昭和六〇年(ネ)第三四七号事件について)

1  第一審原告

(一)  原判決主文第二、第三項を次のとおり変更する。

(二)  第一審被告は第一審原告に対し、金五万円を支払え。

(三)  訴訟費用は第一、二審とも第一審被告の負担とする。

2  第一審被告

(一)  本件控訴を棄却する。

(二)  控訴費用は第一審原告の負担とする。

(昭和六〇年(ネ)第三三〇号事件について)

1  第一審被告

(一)  原判決中、第一審被告敗訴部分を取り消す。

(二)  第一審原告の第一審被告に対する請求を棄却する。

(三)  訴訟費用は第一、二審とも第一審原告の負担とする。

2  第一審原告

(一)  本件控訴を棄却する。

(二)  控訴費用は第一審被告の負担とする。

二  当事者の主張

1  請求原因

(一)  身分関係

第一審原告は、昭和五四年三月一四日から昭和六〇年二月五日に刑期が満了して同月六日にN刑務所を出所するまでの間、同刑務所に受刑者として拘禁されていた。

(二)  閲読不許可処分

第一審原告は、昭和五八年一一月一五日、N刑務所長に対し、「現代日本の監獄」(以下「本件文書」という。)の仮出し交付を求めたが、同所長は同月一七日本件文書の閲読を許可しないとの処分(以下「本件処分」という。)をした。

(三)  本件処分の違法性

(1) 本件処分は、監獄法(以下「法」という。)三一条二項、監獄法施行規則(以下「規則」という。)八六条一項、昭和四一年一二月一三日付法務大臣訓令「収容者に閲読させる図書、新聞紙取扱規程」(以下「本件訓令」という。)三条四項、その運用通達である昭和四一年一二月二〇日付法務省矯正局長依命通達「収容者に閲読させる図書、新聞紙等取扱規程の運用について」(以下「本件通達」といい、右法三一条二項、規則八六条一項、本件訓令、本件通達を合わせて「本件法令等」という。)に基づくものであるが、本件法令等は憲法一三条、一九条、二一条、二三条、三二条に反する無効なものであつて、右違憲無効の法令等に基づく本件処分は違法である。

すなわち、文書等の閲読は、真理の探究という人間が本来的に有する欲求を満足させるとともに、社会的な存在である人間にとつて必要不可欠である自己の思想及び人格を形成、発展させ、社会生活の中にこれを反映させることを可能にするものである。殊に、国民主権、民主主義を大原則とする日本国憲法下にあつては、何人も様々な意見、知識、情報に接し、そのたゆまない交流が保障されることこそが大前提であり、その面からも、文書等の閲読は、民主主義社会の根幹をなすものとして重要な意味をもつものである。それゆえ、文書等の閲読の自由は、個人の尊重、幸福追求権を定めた憲法一三条、思想及び良心の自由の不可侵を定めた一九条、表現の自由を定めた憲法二一条、学問、研究の自由を定めた憲法二三条の諸規定によつて憲法上保障されているところと解すべきである。しかも、閲読目的が訴訟準備にあるような場合を考えると裁判を受ける権利を定めた憲法三二条の保障の下にもあると解すべきである。

基本的人権が、これに優越する他の基本的人権により一定限度の制限を受けることがあるとしても、受刑者に対する文書等の閲読の自由を制限することについての合理的根拠はなく、受刑者に対する文書等の閲読は絶対的に保障されるべきである。

(2) 受刑者に対する文書等の閲読の自由を制限することが許されるとしても、右自由が憲法諸規定によつて保障される基本的人権である以上、その制限は憲法四一条の要請から法律に基づく必要があり、命令によるとしても具体的、限定的な形での法律による委任があつて初めてその制限は許容しうるにすぎない。にもかかわらず法三一条二項は、文書等の閲読の制限を命令で定めることができる旨を定めるにとどまり、その命令への委任は一般的、無限定であつて、包括的、白紙委任であるといわざるをえない。法三一条二項、規則八六条一項は憲法四一条に違反するものであつて無効であり、右違憲無効の法令に基づく本件処分は違法である。

この点、いわゆる合憲限定解釈により法三一条二項等の違憲判断を回避する判断もある(最高裁昭和五八年六月二二日大法廷判決)が、憲法四一条からすれば、本来法三一条二項のみにおいて文書等の閲読制限の要件が規定される必要があるのに、同条項からは右制限の要件を読み取ることはできず、法文を離れ立法目的を独自に理解して新たな基準を設定する方法によつて違憲判断を回避することは許されない。文書等の閲読の自由が憲法諸規定によつて保障される基本的人権であり、かつ、基本的人権の中でもより優位の価値を認められている精神的自由権としての性質をもつものであるから、その制限に際しては明確性が特に要求されるものである。ところが、右制限を規定した法令について、合憲限定解釈により新たな基準を設定しなければ合憲たりえないということは、その法令自体が漠然としたものであることを意味しており、そのことからも、前記明確性を欠くものとして違憲無効であるといわなければならない。

(3) 仮に、本件法令等が合憲であるとしても、以下の事実を総合すれば、本件文書の閲読により、第一審原告に閲読不許可事由に該当するような秩序びん乱の蓋然性はなく、本件処分は、第一審原告に対するいやがらせであつて、裁量権の濫用に該当し、違法である。

ア 本件文書は、救援連絡センターを編者とし、株式会社たいまつ社から昭和五一年に「たいまつ新書」として出版されたものである。

本件文書の具体的内容は、第一章で各種刑事施設の被収容体験を持つ小野悦男という人物の半生を問題提起部分とし、第二、第三章で様々な形で公にされた未決拘禁者、受刑者の刑事施設内での体験に基づく手記や日本弁護士連合会の資料を問題点毎に整理して掲載し、第四章で雑誌「情況」に掲載された代用監獄をめぐる問題点についての座談会を、第五章で現行法、法改正の動向、国際的基準等を引きながら、拘置所、刑務所内での基本的人権確保の不充分性と当時の法改正動向についての問題点を指摘する論文で締め括られている。

右内容は、確かに刑務所等の現状について批判的な立場のものであるが、法文、統計資料、裁判資料等が各所に掲載されており、資料としての利用価値は相当高いものである。

イ 第一審原告は、本件文書をO刑務所在監中、許可を得て購入し、同刑務所在監中に閲読した。したがつて、初読時と比較すれば、本件処分時の閲読による影響は小さいものといえる。しかも、仮出し回数は二回あり、そのうち一回は四か月にも及ぶものであつて読了回数は数回にとどまらない。

また、O刑務所での閲読時点で、第一審原告が異常な反応、行動をしたとの報告は一切なく、本件文書閲読による危険性は考えられない。

ウ 第一審原告は、本件処分当時、雑誌「氾濫」、新聞「救援」等、刑務所の現状を批判する内容の記事が掲載されたものを私本として所有し、本件処分権者の許可を得て本件処分の前後を通じて仮出し、閲読していた。しかも、本件文書は右「氾濫」や「救援」から転載されたものであり、これらの中には看守が女性在監者に対してツバをはきかけたとか、大阪拘置所保護房内で死亡した在監者の全身に傷があつてその死因に不信が抱かれるとか、東京拘置所が腹部に針金が刺さつている在監者の適切な治療を怠つているとか、公判出廷のため送迎バスの中で女性被告人が看守から髪の毛を引つ張られたりさるぐつわをかけられたりする暴行を受けたなどと、それぞれ具体的な内容が掲載されており、この点からも、第一審原告に、本件文書を再度閲読することによる危険発生の蓋然性は皆無であつたといわなければならない。

エ 第一審原告は、本件文書仮出し交付申請時において、自己に対する処遇についての合法性を問うべく、国及びN刑務所長を相手として刑務所の懲戒処分に対し損害賠償請求訴訟(長崎地方裁判所昭和五六年(ワ)第七六号)を提起して訴訟進行中であつた。本件文書の閲読目的は、その訴訟準備の点にあつた。第一審原告は、右目的のため、刑務所の処遇に批判的な本件文書とこれに肯定的な「犯罪者の処遇」という図書の仮出しを同時に申請した。本件文書は、右訴訟にとつて有用、かつ、受刑者にとつては入手しにくい貴重な資料を含むものであつた。

第一審原告の右訴訟提起の事実、本件文書の内容、同時に仮出し申請した図書の内容等の諸事情からすれば、本件文書の仮出し申請が第一審原告の訴訟準備としてなされたものであることを刑務所側も充分に了知し得る状況にあつたのである。

訴訟準備の目的で既に読んだことのある本件文書を資料確認のため再度読もうとした第一審原告が、また、既に刑務所の懲戒処分に対して損害賠償請求訴訟まで提起していた第一審原告が、本件文書を読むことによつて刑務所職員に対する不信感、敵対心を助長させることになるとは考えられない。

オ 第一審原告は、本件処分時においては、安定した生活態度を示しており、昭和五六年一一月からは、規律違反を理由とする懲罰を受けたことはなかつた。また第一審原告は、昭和五四年三月一四日N刑務所に移監されてきたが、そこにおける作業等工は、見習いに始まり、九等工から三等工まで進級していた。第一審原告の当時の生活態度からは、第一審原告が本件文書を閲読することによつて、刑務所の規律をびん乱するおそれはなかつた。まして、第一審原告は、N刑務所に収監された当初から、他の収容者に対する影響の排除という目的で四区六舎に独居拘禁されており、第一審原告が他の収容者に働きかけるということは全くできなかつた。

カ 本件処分は、第一審原告が昭和五六年七月二〇日付でN刑務所長を被告として提起した作業時間改定告示無効確認の訴えに対する一連の報復的処分の一つとして恣意的になされたものである。このことは、別紙(一)差入救援新聞の仮出閲読情況等一覧表記載のとおり、右訴え提起直後の同月三〇日から、それまで抹消や削除されたことのなかつた「救援」等の新聞の抹消や削除が始まつたこと、「認書期間」が従来三か月ないし五か月位であつたものが、一か月位に短縮されたことからも窺われる。

キ 本件文書は、O刑務所においては、当時O刑務所管理部長であつた宮崎大輔が第一審原告に対し閲読を許可したものであるが、本件処分においては、右宮崎大輔はN刑務所の管理部長としてその交付手続に関与しながら、不許可処分となつている。

(四)  損害

第一審原告は、本件処分によつて、第一審原告がN刑務所を出所するまでの間本件文書の閲読を妨げられ、学習を阻害され、少なからぬ精神的苦痛を受けた。

第一審原告の右損害を慰謝するには金五万円が相当である。

(五)  責任

N刑務所長は、公権力の行使として本件処分を行つたから、国家賠償法一条一項により、第一審被告はそれによつて生じた損害を賠償する責任がある。

(六)  結論

よつて、第一審原告は第一審被告に対し、金五万円の支払を求める。

2  請求原因に対する認否

(一)  請求原因(一)、(二)は認める。

(二)(1)  請求原因(三)(1)のうち、閲読の自由が基本的人権の一つであることは認めるが、その余は争う。

(2) 同(2)は争う。

(3)ア 同(3)アのうち、本件文書の構成、内容は認め、その余は争う。

イ 同イのうち、第一審原告がO刑務所において本件文書を閲読のため二回仮出しの許可を受けたことは認め、その余は争う。

ウ 同ウのうち、第一審原告が本件処分当時雑誌「氾濫」、新聞「救援」等を私本として所有して閲読していたことは認め、その余は争う。

エ 同エのうち、第一審原告が第一審被告及びN刑務所長を相手として損害賠償等の訴訟を提起したことは認め、その余は争う。

オ 同オのうち、第一審原告の作業等工及び収監場所は認め、その余は争う。

カ 同カのうち、別紙(一)差入救援新聞の仮出閲読情況等一覧表記載のとおり、差入新聞等を抹消、削除したことは認め、その余は争う。

キ 同キは争う。

(三)  請求原因(四)、(五)は争う。

3  第一審被告の主張

(一)  本件法令等の合憲性

(1) 刑罰としての懲役刑は、憲法一八条、三一条及び三六条等の規定に照らし憲法上容認されていることは明らかである。

懲役刑とは、受刑者を社会から隔離して自由を剥奪し、これに定役を課すことにより犯罪に対する応報及び改善教育を図ることを目的とするものである。また、その執行の方法は、受刑者を監獄内に収容し、これを集団として管理して行うものであるから、内部における規律及び秩序を維持し、その正常な状態を保持する必要がある。そのためには一般社会とは異なつた配慮をする必要があるのであつて、身体の自由以外の自由であつても制限される場合があることは当然のことであり、文書等の閲読の自由もその例外ではない。したがつて、懲役刑の右目的及び執行の方法からすると、文書等の閲読が受刑者の拘禁を阻害するようなものであつてはならないことはもとより、前記懲役刑の目的の実現及びその円滑な執行を阻害するような文書等の閲読に対しても憲法上必要かつ合理的な限度での制限が容認されているものと解すべきである。

(2) そこでかかる見地から法及び規則についてみると、まず法三一条一項は、「在監者文書、図画ノ閲読ヲ請フトキハ之ヲ許ス」と定めて図書等の閲読の自由をうたいながら、同条二項において「文書、図画ノ閲読ニ関スル制限ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム」と規定し、右閲読の自由に制限があること及びその制限の具体的内容を命令に委任することを明らかにしている。そして、これを受けて規則八六条一項は、「文書図画ノ閲読ハ拘禁ノ目的ニ反セズ且ツ監獄ノ紀律ニ害ナキモノニ限リ之ヲ許ス」と規定しているところ、右規定は文書等の閲読の自由について前記の憲法上容認されていると解される懲役刑の目的及び執行上の要請から生ずる制限を明確化したものと解される。

(3) そしてその運用は、本件訓令及び本件通達が受刑者に関する閲読の許可基準について、〈1〉身柄の確保を阻害するおそれのないもの、〈2〉紀律を害するおそれのないものであつて、かつ、〈3〉教化上適当なものでなければならないものとされ、その具体的判断にあたつては、〈ア〉闘争、暴動等の刑務事故を具体的に記述したものであるか否か、〈イ〉所内の秩序びん乱をあおり、そそのかすものであるか否か、〈ウ〉風俗上問題となることを露骨に描写したものであるか否か、〈エ〉犯罪の手段、方法を詳細に伝えたものであるか否か、〈オ〉その者の教化上不適当であるか否か等の諸点に留意し、その閲読が拘禁目的を害し、あるいは当該施設の正常な管理運営を阻害することとなる相当の蓋然性を有するものと認めるときは閲読を許さないとされている。

(4) ところで文書等は種類が膨大な数にのぼり、その内容は千差万別であり、かつその閲読を求める事情も多様であるところ、これらの閲読の許否を多数の受刑者について適正かつ公平に実施するためには前記の法の趣旨にそつた適正な基準を設定し、かつ、これに基づいて運用することが不可欠であるところ、本件訓令及び通達は前記内容からも明らかなように前記法の趣旨に合致した適正かつ妥当なものである。

(5) 以上のとおり、受刑者の文書等の閲読を制限する本件法令等の規定は憲法の容認するところであり、法の命令への委任も前記規定の仕方から考えて法の目的の範囲内において具体的制限の内容を命令に委任したものと解されるのであつて、包括的な委任とはいえないものであるから、本件法令等が違憲であるとの第一審原告の主張は失当である。

(二)  本件処分の適法性

(1) 在監者特に懲役受刑者に対する文書等閲読の自由に対する制限は、監獄内の規律の維持と拘禁目的の両面から検討してなされるべきであるが、これらの判断に当たつては、当該文書等の内容、受刑者の性向・行状、監獄内の管理・保安の状況、その他の具体的事情のもとにおいて、当該文書等の閲読を許すことによつて、監獄内の規律及び秩序の維持に障害を生ずるか否か、当該受刑者の拘禁・教化に悪影響が生ずるか否かが検討されなければならない。そうして、文書等の種類は千差万別であり、監獄の構造、種別、収容人員、刑務官の数等は各刑務所によつて異なつており、受刑者の性質や過去の受刑歴、感受性の強弱等も個々人によつて異なるのであるから、これらを通じて具体的な判断基準を設けることは不可能というべきで、結局、矯正手続及び当該刑務所の実情に最も通暁し、受刑者の性向・行状も把握できる立場にあつて直接その衝に当たる監獄の長すなわち刑務所長の裁量判断に委ねられているといわざるを得ず、したがつて、刑務所長のなした閲読不許可処分が違法とされるためには、刑務所長の右判断に裁量権の逸脱又は濫用があつた場合に限られる。

N刑務所は、受刑者の文書等の閲読許可の可否を決定する際には、当該文書等の内容とその閲読を願い出た受刑者の性格・行状、施設の人的・物的戒護能力、収容状況等の諸要素を総合的に考慮し、厳正な審査のもとに、刑務所長の依命により、許可を相当とするものについては教育課長が、不許可を相当とするものについては教育部長が、それぞれ決定し、受刑者にその旨告知する取扱いになつている(収容者に閲読させる図書その他の文書図画の取扱細則・昭和四二年一月三一日達示第三号一六条、二〇条)。

(2) 本件文書の内容

本件文書は、現在の監獄の管理体制を糾弾する目的で作成された図書で、別紙(二)のとおり、受刑者らの体験談を多数掲載して読者に刑務所が暴力によつて受刑者を虐待しその人権を一方的に抑圧しているとの心証を抱かせる内容となつており、受刑者が本件文書を閲読すれば刑務所職員に対する不信感、敵対心を助長し処遇に対する誤つた考えを抱かせ、作業に対する勤労意欲及び更生意欲を滅殺させることになることは明白である。

(3) 第一審原告の性向・行状

ア 第一審原告は、昭和五〇年七月二三日、沖縄において開催中の沖縄国際海洋博覧会に参加していたチリ共和国海軍練習船ほか二隻の船舶に点火した火炎びんを投てきするなどして、現住建造物等放火未遂、火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反、傷害、爆発物取締罰則違反、非現住建造物等放火の各罪により懲役八年の刑に処せられた者であるが、同年九月四日から昭和五四年三月一四日N刑務所に移監されるまでは未決囚又は懲役受刑者としてO刑務所に在監し、その後昭和六〇年二月五日刑期の満了により同月六日に出所するまで(但し、昭和五四年一〇月一一日から同年一一月二七日までの間第一審原告が提起した那覇地方裁判所昭和五四年(行ウ)第一号移監処分取消請求事件の口頭弁論に出廷のため、O刑務所及び那覇拘置支所に在監した。)は懲役受刑者としてN刑務所に在監した。

イ 第一審原告は、昭和五一年一月三〇日から昭和五四年三月九日までの間に、別紙(三)記載のとおり、点検拒否等の理由で前後二一回にわたつて懲罰に処せられ、その間の昭和五一年五月二五日には、大阪拘置所長宛に「ヤマグチシゲミツ二シユウキ、コノオトシマエワカナラズツケルゾ、キダ」との電報を発信した。

ウ N刑務所の保安課長は、昭和五四年三月二九日、第一審原告が閲読している文書等の中に監獄解体、獄中闘争を標榜するものがあつたことから、第一審原告と面接し、他の収容者に対して監獄解体、獄中闘争を煽動する意思の有無について尋ねたところ、第一審原告は、明確な回答を避け、当時法廷闘争の相手として争つていたO刑務所とN刑務所とを同視する旨の発言を行つた。そこで、分類審査会は、第一審原告と他の受刑者とが直接接触する機会のある処遇を行うと、他の受刑者にいわれのない不満等を抱かせ、又は第一審原告の言動に反動を抱く他の受刑者との間に無用のトラブルを生じさせる原因を与え、保安上憂慮すべき事態に至ることが充分予想されるとして、第一審原告を厳正独居としたうえ、要注意者に指定した。そして、第一審原告を他の受刑者から可能な限り隔離することとして、釈放直前の受刑者を五日間、新入受刑者を一五日間、未決拘禁者を一ないし二か月間収容するにすぎず、他の受刑者に与える影響が最も少ないと考えられる第六舎のうち、担当台に近く職員の目が最も届きやすい西側独居房の二房と一五房に交互に収容した。

エ N刑務所において、第一審原告には別紙(四)のとおりの行状があつた。

オ 一般に受刑者には不平不満が生じやすく、些細なことがきつかけとなつて規律違反が付和雷同的に広まり、刑務所全体の規律や秩序が混乱に陥る危険性があるのであつて、松山刑務所の例がそれを証明している。

第一審原告は、職員の指導に従わず、毎日のように規律違反を繰り返したため、第六舎の他の受刑者たちがそれを察知して反発し、あるいはこれに同調して騒然とした雰囲気になることがあつた。さらに、第六舎に収容されている間に第一審原告の行状を知つた新入受刑者が、その後一般の受刑者の中に入つてこれを伝えることにより、第一審原告の行状は第六舎以外の居室に収容されている受刑者の知るところとなり、職員の指導は一般の受刑者には厳しいのに第一審原告には甘いという誤解に基づく不満をも招くこととなつた。

(4) N刑務所の収容状況等

N刑務所は、収容分類級の中で最も生活指導が困難で犯罪傾向の進んでいるB級受刑者を収容する施設であるが、B級受刑者の中でも最も生活指導の困難な暴力団関係受刑者が、第一審原告が収容されていた昭和五七、八年ころには全収容人員の四七、八パーセントを占めていた。しかも、本件処分を行つた昭和五八年一一月一七日現在の収容人員は収容定員六九五人に対して七三二人であり、収容率一〇五パーセントの過剰拘禁であつたのに対し、受刑者の生活指導に直接当たる職員はわずか一一五人にすぎず、職員一人当たりの負担率は六・三七人にものぼつていた。これを全国平均と対比すると、負担率において二・〇三人過大となつており、それだけN刑務所における規律維持、逃走防止については困難性が増大している状態であり、しかも、このような状況下においても、生活指導に当たる職員は武器等を一切持たないいわゆる丸腰の状態で勤務していたから、刑務所内の規律や秩序を維持するため、常に極度の緊張を強いられていた。

ちなみに、第一審原告がN刑務所に移監される前に収容されていたO刑務所には、各種の収容分類級の受刑者が混在して収容されていたが、第一審原告が本件文書の第二回目の閲読を許可された昭和五四年当時におけるO刑務所の収容人員は、収容定員三一九人に対して約二五〇人と少なく、収容率は約八〇パーセントにすぎなかつた上、これに対して八八人の職員が生活指導に当たつていたから負担率は二・八人であつて、N刑務所に比べるとO刑務所の方がはるかに生活指導は容易であつた。更に、N刑務所における本件処分時の暴力団関係の受刑者は三〇九名で、保安独居拘禁者は七三名であり、O刑務所においては、一回目閲読時の暴力団関係の受刑者は八〇名で、保安独居拘禁者は一五名、二回目閲読時の暴力団関係の受刑者は六二名で、保安独居拘禁者は一五名であつて、その違いは明らかである。

ところで、我が国の行刑は、諸外国の刑事学者等から高く評価されているが、これは刑務所の職員が武器を携帯しない、いわゆる丸腰の状態で、直ちに凶器となり得るノミ、ハサミ、金槌、鉄棒等の器具を使用して作業している受刑者を、単身戒護しているにもかかわらず、暴動等の重大事故の発生が皆無に近いという実情があるからである。このような行刑運営を支えているのは、職員と受刑者との信頼関係であると言つてよく、右信頼関係が受刑者の更生に役立つていることはいうまでもない。しかしながら、右信頼関係は極めて脆弱なものであつて、そのわずかなほころびが、やがて全体に波及し、職員と受刑者との相互信頼関係を崩壊させることになり、ひいては刑務所全体の規律、秩序を崩壊させ、限られた数のしかも丸腰の職員では到底これを律することができない状態にまで陥つてしまう。したがつて、文書等の内容が在監者の規律違反行為を直接誘発するおそれがあるときはもとより、それが職員と在監者との信頼関係を崩壊させ、在監者の反抗心をあおり、またこれを助長し、喧騒、騒擾等の規律違反行為に出る心理的要因となるものである場合にも、当該在監者の性向・行状、当時の施設の情況等を勘案のうえ、閲読を不許可にすべき場合があるというべきである。

しかも、昭和五七年四月以前のN刑務所においては、職員と受刑者との力関係が逆転し、特に暴力団関係受刑者が職員の生活指導を無視する態度に出ていたため、刊務所内の規律や秩序は、他のB級施設と比べると劣悪な状態にあつたのである。その後、職員の士気を高め、受刑者に対する生活指導を強化する方策をとつたため、規律及び秩序は好転したが、再び劣悪化する危険性は常に潜んでいた。

(5) 本件処分の経緯

第一審原告は、昭和五六年九月一六日、本件文書の仮出しを申請したが、同月一七日、当時の教育部長安部幸男は、本件文書が教化上不適切でN刑務所内の規律を害しその正常な管理運営を阻害するおそれが強いと判断して林実所長に諮つたうえ、不許可の決定をなし、第一審原告にその旨告知した。第一審原告は間もなく、右申請を取り下げた。

しかるに第一審原告は、昭和五八年一一月一五日再度本件文書の仮出しを願い出た。しかし、前記のような状況にあつたところから、第一審原告に本件文書を閲読させると、そこに記述されている内容から、第一審原告は、N刑務所の行う処遇について、その方針を歪曲して批判し、反抗心を助長することが充分に考えられたところである。そこで、N刑務所は、本件文書について、本件訓令の三条一項のうち三号(紀律を害するおそれがなく、かつ、教化上適当なもの)には該当せず、かつ、本件通達の「所内の秩序びん乱をあおり、そそのかすもので教化上不適当なもの」に該当し、本件文書を第一審原告に閲読させることはN刑務所内の規律を害しその正常な管理運営を阻害することとなる相当の蓋然性を有するもので、前回の不許可処分以後、前回の処分を変更する新たな事由は見出せないものと認められたので、昭和五八年一一月一五日付の本件文書について第一審原告の仮出し願いを不許可とし、同月一七日主任看守野副武之が第一審原告にその旨告知したものであるから、本件不許可処分は本件通達にのつとり適正かつ公正に行つたものであり、刑務所長の裁量権を何ら逸脱濫用しておらず適法な処分である。

(6) 第一審原告の本件文書閲読の必要性

ア 第一審原告は、本件文書の閲読を希望した理由は長崎地方裁判所昭和五六年(ワ)第七六号事件の資料として用いるため及び学習のためであると主張するが、右事件は当時既に結審して判決が約一か月後に予定されていたことから、本件文書の閲読目的が訴訟準備にあつたとは考えられず、まして、それをN刑務所長が了知し得る状況にあつたとは到底いえない。また、第一審原告は、O刑務所において二回にわたり本件文書を仮出し閲読していることから、その内容の概略は記憶しており、単に具体的に文字を追つてみたいという理由から閲読を希望したにすぎず、閲読の必要性はなかつたか、あつてもその程度は低かつたと解され、前記刑務所内の規律及び秩序維持の必要から本件文書の閲覧を制限しても、第一審原告の権利を不当に侵害したことにはならない。

イ もつとも、第一審原告は、O刑務所において、本件文書の閲読を二回許可されているが、文書等の閲読の許否は、刑務所長が各刑務所の実情を踏まえ個別に判断すべきであり、O刑務所の判断とN刑務所の判断が区々となつたとしても、そのことから直ちに、N刑務所の本件処分が不合理であるとはいえず、第一審原告の地位の相違(一回目は昭和五三年七月一一日であるが、当時第一審原告は未決拘禁中であり、二回目は昭和五四年一〇月二九日であるが、当時第一審原告は第一審原告が提起した行政事件の口頭弁論に出廷するためにO刑務所に移管されていたものであり、右O刑務所における第一審原告の立場は、いわば仮住いの暫定的なものにすぎなかつた。)や、各刑務所の前記収容者の人数等が異なることによる規律及び秩序の維持に関する危険性の相違、前記本件文書の内容や第一審原告の性格、行状等から判断して、本件処分は適法であつた。

ウ 第一審原告がかつて閲読し、現にその概略を記憶している本件文書といえども、改めて閲読すれば新たな感銘力を受けることは明らかであり、その結果第一審原告が以前にも増して反抗的態度で職員と接し、これに影響されて一般の受刑者の不満や反発も一層強まることが充分予想されたから、本件文書の閲読を制限する必要性はあつた。

エ N刑務所は、第一審原告に対し本件文書と同様の内容の新聞等の閲読を許していた。これらは在監者に団結を呼び掛け、監獄の管理体制を糾弾し、在監者の待遇改善などを要求するものではあるが、それ以上に読む者の施設及び職員に対する不信感、反抗心をいたずらにあおりたてる内容にはなつていない。これに対して、本件文書の記述は、監獄の管理体制を糾弾するという点では前記新聞等と同様であるが、それにとどまらず獄中体験談と称して具体的事実を摘示し、読む者の施設及び職員に対する不信感、反抗心をいたずらにあおりたてる内容となつているうえ、監獄内の事象を幅広く、しかも集約的に取り上げて記述しているので、前記新聞等と比較すれば読む者に与える影響力は格段に大きいものといわなければならない。したがつて、N刑務所長が前記新聞等についてその閲読を許可しながら、本件文書についてはその閲読を許可しなかつた判断には充分な合理性があり、N刑務所長に許された裁量の範囲内にあるものといわなければならない。

オ 第一審原告は、本件処分は第一審原告がN刑務所長を相手とする訴訟を提起したことに対する報復的処分として恣意的になされたものである旨主張するが、N刑務所長が昭和五六年九月以降本件文書や差入れのあつた「救援」等の新聞の閲読について、その一部を抹消、削除したのは、その文書の内容、第一審原告の性向・行状、N刑務所の収容・保安状況等の具体的な事情を総合的に勘案した上、閲読許可の可否を個別的に判断したからであつて、第一審原告が訴えを提起したこととは何の関連性もない。

カ 第一審原告は、第一審原告がN刑務所のうち未決拘禁者及び分類審査中の受刑者のみを収容する舎房に独居拘禁されていたから、第一審原告の言動によつてN刑務所内の規律、秩序が阻害されることはない旨主張するが、未決拘禁者及び分類審査中の受刑者だからといつて第一審原告の言動に影響をうけないという保障は全くなく、本件処分当時第一審原告の在監していた舎房には四六名の受刑者が在監し、これを一人の看守が戒護する状態であつたから、第一審原告が反抗し大声で先導すれば、収拾のつかない混乱を生ずる可能性が充分あつた。

キ 第一審原告は、本件処分について、管理部長である宮崎大輔が処分権者であるかのごとく主張しているが、前記取扱細則からも明らかなように不許可処分の権限は教育部長にあり、管理部長にはなく、宮崎管理部長は本件処分に関与していない。

4  第一審被告の主張に対する認否及び反論

(一)  第一審被告の主張(一)のうち、在監者の文書等閲読制限に関する本件法令等の存在は認めるが、これらの合憲性は争う。

(二)(1)  第一審被告の主張(二)(1)は争う。

第一審被告は、在監者とくに懲役受刑者に対する文書等閲読の制限の可否を判断するについての判断要素として、受刑者の性向・行状、監獄内の管理・保安の状況、当該図書等の内容をあげている。

しかし、そもそも文書等閲読制限可否の判断要素となりうるのは、文書等の閲読と秩序びん乱等の危険との因果関係判断に意味あるものでなければならない。

第一に、第一審原告の性向・行状は、本件文書の閲読により第一審原告が内心に影響を受けそれに基づく行為によつて秩序びん乱等に至る蓋然性の有無、程度を判断する限度で意味を持つものである。ところが、第一審被告は、第一審原告の犯罪事実や二年前の懲罰を単に羅列するだけで、要素として考慮することが適切か否か、本件で発生するとされた危険とどのように結びつくかを一切明らかにしていない。したがつて、第一審被告主張の「性向・行状」を本件の判断要素の一つに加えるのは失当である。

第二に、憲法上優越した地位を与えられている文書等の閲読の自由を制限するについて、第一審被告主張の「施設の不充分さ」を根拠とするのは本末顛倒である。なぜなら、国は、憲法擁護義務によつて文書等の閲読の自由の保障を前提としてこれに必要な施設の管理保安体制をとることを要請されているからである。前記最高裁判決においても、刑務所内部で現実的、具体的に規律又は秩序違反行為が頻発していたとか、外部の者が刑務所内部の者と呼応して刑務所の規律を現実に侵害していたとかの希有な事実をもつて例外的に緊急避難的要素として考慮したにすぎない。本件がかかる例外的な事例に該当するものでないことは、明らかである。

また、刑務所長の裁量権についても、拘禁関係の実体が、血・肉・感情をもつた生身の人間対人間の関係であり、このような関係のもとでは類型的に人権侵害の危険があり、それが懲罰の衣を装い、あるいは文書等の閲読禁止の衣を装うのである。かかる拘禁関係のもとにおいて、刑務所長に広範な裁量を認めることは、本件がことに憲法上優越的地位に認められた文書等の閲読の自由の制限であるだけに、憲法の人権保障規定の自殺をも意味しかねない。

(2) 同(2)は争う。

第一審被告の主張は、本件文書における自己に都合のよい部分を過大評価し、逆に都合の悪い部分を無視するかあるいは過少評価し、もつて本件文書全体の評価を歪曲するものである。本件文書には、刑務所職員の中には親しみのある職員のいることが何か所となく記載されているにもかかわらず、第一審被告の評価においてはそのような記載を全く無視した一方的な評価がなされている。

(3)ア 同(3)アは認める。

イ 同イ、エにつき、第一審被告の主張は、第一審原告の性向・行状の主張と称し、第一審原告の人格、思想を文書等閲読可否の判断材料とするものであつて、この点で既に失当である。第一審被告の主張は、単に第一審原告の悪性格を羅列するのみであつて、発生する危険との繋がりを検討することなく、その点においても失当であり、また、少なくとも二年前の懲罰は、本件処分の適否判断とは関連性がない。

また、第一審原告のN刑務所における行状等として主張された事実は、発生年月日すら不明なものであり、さらに、本件処分との関連も不明である。仮に、右主張の行状があつたとしても、右は軽微なものであり、施設の規律、秩序の維持にとつて何ら影響を及ぼすものでなかつたことは、右がいずれも懲罰処分にも訓戒の対象にもなつていないことから明らかである。

ウ 同ウのうち、第一審原告が四区六舎で独居拘禁されていたことは認め、その余は争う。

エ 同オは争う。

(4) 同(4)は争う。

N刑務所における収容者の定員オーバーは、全国的にも恒常化した収容人員増加傾向の枠にとどまるもので特段問題視すべきものではない。しかも、第一審被告主張の数値によつても、N刑務所における設置定員を基準とする看守一人当たり負担率は六・〇四人であり、当時の現実の看守負担率六・三七人との差は、わずか〇・三三人にすぎない。全国的にも収容人員増加傾向にあり、負担率六人台は第一審被告が長期間にわたり黙認放置してきた負担率である。したがつて、第一審被告が主張する保安状況に関する主張は、それ自体、基本的人権の制約的根拠となるものではない。しかも、N刑務所は、昭和五八年二月、保安無事故三周年の表彰を受けるなど、施設管理面で他の同種施設と比較して、むしろ問題点はなかつたというべきである。

第一審被告は、N刑務所がB級受刑者を収容していることから、規律及び秩序維持が困難であると主張するところ、O刑務所の収容区分は、I級(禁固に処せられた者)、YA級(二六歳未満の成人で犯罪傾向の進んでいない者)、YB級(二六歳未満の成人で犯罪傾向の進んでいる者)、A級(犯罪傾向の進んでいない者)、B級(犯罪傾向の進んでいる者)、M級(精神障害者)、P級(身体上の疾患又は障害のある者)となつており、同刑務所は、種々雑多な分類級の受刑者を抱えていることになり、それぞれ異なつた処遇内容を必要とすることを考えると、B級単一の施設であるN刑務所と比較し、かえつて、O刑務所の方が規律、秩序の維持が困難であるとも考えられる。

そもそも、第一審原告をO刑務所からN刑務所に移監しておきながら、N刑務所で処遇困難な人間が多いため規律、秩序の維持が困難であるとして、第一審原告の人権をより制限することは身勝手な論理である。

また、職員と受刑者との間で信頼関係が要請されることがあるとしても、それは矯正の場面においてであり、本件処分において問題とされている自由の拘束という拘禁の場面で信頼関係をもちだすのは論理のすりかえにすぎない。

(5) 同(5)のうち、第一審原告が昭和五六年九月に本件文書閲読のための仮出し申請をして不許可処分になつたのち右申請を取り下げたことは認め、その余は争う。

第一審原告は、不許可処分を放置しておくことは、不許可処分の正当性を認めることになると考えていたことから、右申請を取り下げたのであつて、本件文書閲読の必要性が低かつたからではない。

(6) 同(6)は争う。

第一審原告は、本件文書を閲読することにより、処遇一覧表を作成して訴訟追行のために使うつもりであつたが、本件処分により、右が不可能となり訴訟追行に支障をきたした。

(7) 本件法令等が違憲でないとしても、昭和四八年一二月七日付矯正局長通達「収容者に閲読させる図書、新聞紙等取扱規程及び収容者に閲読させる図書、新聞紙等取扱規程の運用についての一部改正について」(以下「矯正局長通達」という。)は、本件通達の「相当の蓋然性」の有無につき、「個々具体的な事例に即して、当該図書の内容、当該在監者の性格、行状、精神状態、当該施設の人的、物的戒護能力、衆情の現況等を総合的に考慮した上で慎重に判断すべきである。例えば、当該図書の内容が、具体的な手段、方法等を記載して獄内闘争をあおるようなものであるときには、訓令(本件訓令)にいう『規律を害するおそれ』があるものとして、当該図書の閲読を許さないことができるが、当該施設の衆情が一般的に安定している状況下で、単に当該在監者がいわゆる処遇困難者であり、当該図書を閲読することにより、その者の職員に対する不平不満が増加してその処遇が更に困難となり、あるいはその者が職員をけん制して処遇の緩和を図る目的で苦情申立て等の手段を乱用するおそれがあることのみをもつて、『規律を害するおそれ』があるものと解すべきでない。」と規定しているが、本件処分は、右矯正局長通達の基準からして、閲読不許可事由に該当しない。

ア 本件文書の内容は、法文、統計資料、裁判資料等が各所に掲載された資料的価値の高いものであつて、第一審被告が主張するような「読む者をして刑務所が暴力によつて受刑者を虐待し、その人権を抑圧しているとの誤つた心証を抱かせる」内容ではない。

イ 本件処分時のN刑務所の収容人員は定員をわずかに越える程度(職員一人当たりの負担率は定数の場合に比べ〇・三三人超えているだけにすぎない。)であり、昭和五八年二月には保安無事故三周年の表彰まで受けており、本件処分当時N刑務所の衆情が一般的に安定している情況にあつたといえる。第一審被告はN刑務所の規律や秩序が再び劣悪化する危険性が常に潜んでいた旨主張するが、このような危険は全ての刑務所においていえることであり、一般的、抽象的な危険にすぎず、本件文書の閲読を制限するだけの合理的な根拠にはならない。

ウ 第一審被告の主張する第一審原告の性格・行状等は、昭和五一年から昭和五四年といつた本件処分のあつた昭和五八年一一月一七日より四年から七年位以前のものであつたり、N刑務所とは別のO刑務所のことであつたり、本件処分より二年も前に一度だけ受けた懲罰であつたりといつたもので、本件処分との関連性はほとんどない事項を指摘するものであり、しかも、その指摘された行状の内容は、矯正局長通達で述べられている「いわゆる処遇困難者」であるという以上のものは何ら含まれていない。

エ しかも、第一審原告は、他の受刑者に与える影響が最も少ないと考えられる第六舎の居室に、厳正独居拘禁されていたものであり、保安上憂慮すべき事態に至る危険性は無かつたというべきである。

三  証拠 <略>

理由

一  第一審原告の身分関係(請求原因(一)の事実)及び第一審原告が本件処分を受けたこと(請求原因(二)の事実)は、当事者間に争いがない。

二  そこで以下、N刑務所長がした本件処分につき、その違法性の有無を検討する。

1  第一審原告は、本件処分の根拠となつている本件法令等(法三一条二項、規則八六条一項、本件訓令及び本件通達)が憲法一三条、一九条、二一条、二三条、三二条に違反し無効である旨主張する。

在監者の文書等の閲読については、法三一条一項は「在監者文書、図画ノ閲読ヲ請フトキハ之ヲ許ス」と、同条二項は「文書、図画ノ閲読ニ関スル制限ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム」と各規定し、これを受けて規則八六条一項は「文書図画ノ閲読ハ拘禁ノ目的ニ反セズ且ツ監獄ノ紀律ニ害ナキモノニ限リ之ヲ許ス」と規定している。そして、<証拠略>によれば、昭和四一年一二月一三日に本件訓令が制定され、同月二〇日に本件訓令の運用に関する本件通達が発せられたこと、受刑者に関する本件訓令及び通達の内容は第一審被告の主張(一)の(3)記載のとおりであることが認められる。

そして、本件処分が本件法令等に基づくものであることは当事者間に争いがない。

ところで、憲法三一条及び同三二条によれば、裁判手続により犯罪を犯したと確定した者が刑罰に処せられることが、憲法三六条及び同一八条によれば、残虐な刑罰は禁じられているものの、刑罰においては、その意思に反した苦役に処せられることのあることが、それぞれ規定されており、これらの規定に照らすと、刑罰としての懲役刑は、憲法上容認されているものといわなければならない。懲役刑は、受刑者を社会から隔離して自由を剥奪し、これに定役を課すことにより犯罪に対する応報のみならず、その執行過程を通じて、他日受刑者が社会に復帰する場合に備えて、これを教化、矯正し、もつてその更生を図ることを目的とするものであるから、その限度で身体的行動の自由が制限されるのみならず、右目的のために必要かつ合理的な範囲内においてそれ以外の行為の自由をも制限されることは免れないところであり、このことは懲役刑そのものの予定するところである。また、その執行方法は、受刑者を監獄内に収容し、これを集団として管理して行うものであるから、内部における規律及び秩序を維持し、その正常な状態を保持する必要があり、その目的のためにも必要かつ合理的な範囲内において受刑者の身体的自由及びその他の行為の自由に一定の制限が加えられることはやむをえないところというべきである。そして、この場合において、これらの自由に対する制限が必要かつ合理的なものとして是認されるかどうかは、右目的のために制限が必要とされる程度と、制限される自由の内容及び性格、これに加えられる具体的制限の態様及び程度等を較量して決せられるべきであることはいうまでもない(最高裁昭和四五年九月一六日大法廷判決・民集二四巻一〇号一四一〇頁、最高裁昭和五八年六月二二日大法廷判決・民集三七巻五号七九三頁参照)。

そこで、懲役受刑者の文書等の閲読に対する制限について検討するに、各人が自由にさまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取する機会をもつことは、その者が個人として自己の思想及び人格を形成・発展させ、社会生活の中にこれを反映させていくうえにおいて欠くことのできないものであり、また、民主主義社会の健全な発展のために必要不可欠であり、それゆえ、これらの意見、知識、情報の伝達の媒体である新聞紙、文書等の閲読の自由が憲法上保障されるべきことは、思想及び良心の自由の不可侵を定めた憲法一九条の規定や、表現の自由を保障した憲法二一条の規定の趣旨、目的から導かれるところであり、また、すべて国民は個人として尊重される旨を定めた憲法一三条の趣旨にも沿うものといわなければならない。しかしながら、このような閲読の自由といえども、それが生活のさまざまな場面にわたり、きわめて広い範囲に及ぶものであつて、他の基本的人権等との抵触の可能性もあることから、第一審原告の主張するようにその制限が絶対に許されないものとすることはできず、それぞれの場面において、これに優越する公共の利益のための必要から、一定の合理的制限を受けることがあることもやむをえないものといわなければならない。そしてこのことは、受刑者の文書等の閲読に関しても同様であつて、本件におけるように、懲役受刑者として監獄に拘束されている者の文書等の閲読の自由についても、前記受刑者を社会から隔離し、これに定役を課すことにより、犯罪に対する応報のみならず、これを教化、矯正し、もつてその更生を図るという懲役刑そのものの目的のためのほか、監獄内の規律及び秩序の維持のために必要とされる場合にも、必要かつ合理的な限度で制限することが憲法上容認されているものと解すべきであり、受刑者に対する文書等の閲読は絶対的に保障されるべきである旨の第一審原告の主張が理由のないことは明らかである。

しかしながら、文書等の閲読の自由は憲法に由来する基本的人権であり、懲役受刑者といえども、懲役刑に伴う制約の範囲外においては、その基本的人権は保障されなければならず、しかも、民主主義社会は多様な思想を持つ個人を前提とするものであつて、一般社会から隔離され、外界との交通を遮断された懲役受刑者が、一般社会に対する情報を得るためにも、また、拘禁生活の無聊を慰め、更生への意欲を持たせるためにも、文書等の閲読は重要なものであるだけでなく、文書等は、凶器や騒音を発する器具等のように直接規律違反の手段となるものではなく、懲役受刑者がそれを閲読することによつてその内容に触発され、その結果、あるいは監獄内の規律及び秩序を害する行動に出るかもしれない、という、右兇器等に比すれば間接的な危険を有する場合がほとんどであることからすれば、懲役刑の目的を阻害するとしてその閲読を禁止できるのは、右文書等の内容が閲読を許すことによつて明らかに前記懲役刑の目的を阻害すると認められるものに限られ、懲役刑の目的を害するおそれがあるというだけでは足りないものといわなければならない。

また、前記監獄内の規律及び秩序の維持という関係からは、文書等の閲読の自由に対する制限は、右監獄内の規律及び秩序の維持という目的を達するために真に必要と認められる限度にとどめられるべきである。したがつて、右の制限が許されるためには、当該文書等の閲読を許すことにより右の規律及び秩序が害される一般的、抽象的なおそれがあるだけでは足りず、受刑者の性向、行状、監獄内の管理、保安の情況、当該文書等の内容その他の具体的事情のもとにおいて、その閲読を許すことにより監獄内の規律及び秩序の維持上放置できない程度の障害が発生する相当の蓋然性があると認められることが必要であり、かつ、その場合においても、右の制限の程度は、右障害発生の防止のために必要かつ合理的な範囲にとどまるべきものと解するのが相当である。

そして、具体的場合における本件法令等の適用にあたり、当該文書等の閲読を許すことによつて監獄内における規律及び秩序の維持に放置することができない程度の障害が生ずる相当の蓋然性が存するか否か、及びこれを防止するためにどのような内容、程度の制限措置が必要と認められるかについては、監獄内の実情に通暁し、直接その衝にあたる監獄の長による個々の場合の具体的状況のもとにおける裁量的判断にまつべき点が少なくないから、障害発生の相当の蓋然性があるとした長の認定に合理的な根拠があり、その防止のために当該制限措置が必要であるとした判断に合理性が認められる限り、長の措置は適法として是認すべきものと解するのが相当である。

本件法令等は、監獄内における懲役受刑者を含む被拘禁者の文書等閲読の制限の実質的根拠及びその範囲に関する上述の基本的観点を前提として、その制限の範囲を順次具体的に定めたものと解されるのであり、かつ、右の基本的観点からこれらを解釈すべきであるから、そうである以上、本件法令等は、憲法一三条、一九条、二三条に抵触するものではないというべきである。

なお、第一審原告は、文書等の閲読の自由は、学問、研究の自由を定める憲法二三条によつても、また、閲読目的が訴訟準備にあるような場合を考えると裁判を受ける権利を定めた憲法三一条によつても保障されている旨主張するが、文書等の閲読の自由と、学問、研究の自由や裁判を受ける権利との関係は直接的なものではないから、憲法二三条、三一条により保障された権利であるとまではいえず、更に、文書等の閲読が家問(編注・学問の誤りか)や研究のため又は訴訟準備のためになされる場合があるとしても、上述の基本的観点からすれば、その制限が憲法二三条や、憲法三一条に違反するものでないことは前記同様であり、この点に関する第一審原告の主張も理由がない。

2  第一審原告は、受刑者に対する文書等の閲読の自由を制限することが許されるとしても、右自由が憲法によつて保障される基本的人権である以上、その制限は憲法四一条の要請から法律に基づく必要があり、命令によるとしても具体的、限定的な形での法律による委任を必要とするところ、法三一条二項は図書等の閲読の制限を命令で定めることができる旨を定めるにとどまり、その命令への委任は包括的、無限定であり、法三一条二項は憲法四一条に違反する旨主張する。

確かに、法三一条二項は、「文書、図書ノ閲読ニ関スル制限ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム」と規定し、その文言上、具体的・限定的な文言はない。しかし、委任が包括的・無限定であるか否かは、その委任の趣旨が包括的・無限定であつて、国会が唯一の立法機関である旨を定める憲法四一条の趣旨に反するか否かを検討して判断すべきである。

そうすると、法三一条二項は、法三一条一項が「在監者文書、図画ノ閲読ヲ請フトキハ之ヲ許ス」と規定して文書等の閲読が原則として自由であることを前提に、その例外としての文書等の閲読の制限を命令に委任したにすぎないものであることからすると、右制限は、文書等の閲読の自由を規定した法三一条一項の趣旨を没却するようなものであつてはならないと解されること、そして、右例外としての制限は法全体の趣旨から理解すべきであつて、法一九条ないし二四条、五八条によれば、懲役刑は、受刑者を社会から隔離して自由を剥奪し、これに定役を課すことにより犯罪に対する応報のみならず、その執行過程を通じて、他日受刑者が社会に復帰する場合に備えて、これを教化、矯正し、もつてその更生を図ることを目的とするものであることを規定し、法一五条ないし二〇条、五九条によれば、懲役刑の執行方法は、受刑者を監獄内に収容し、これを集団として管理して行うものであり、監獄内部における規律及び秩序を維持し、その正常な状態を保持するための各施設及び処置を規定しており、右法の趣旨からすると、法三一条は、その一項と二項とにより、文書等の閲読は原則として自由であるが、その閲読が拘禁の目的を阻害する場合又は監獄の規律を害する場合は例外的に閲読の自由を制限することが許され、右例外としての閲読の自由の制限について具体的に規定するよう命令に委任した趣旨と解されること、法三一条二項は、国民一般を対象としたものではなく、在監者という特定の対象との関係における文書等の閲読の制限の委任であることなどからすると、右法の委任は具体的かつ限定的であつて、法三一条二項が国会が唯一の立法機関であることを定める憲法四一条に反するとまではいえず、この点に関する第一審原告の主張は理由がない。

3  第一審原告は、本件法令等が合憲であるとしても、第一審原告には本件法令等が定める閲読不許可事由はないから、本件処分は違法である旨主張する。

(一)  <証拠略>によれば、次の事実が認められ、当審における第一審原告本人尋問の結果中この認定に反する部分は措信し難い。

(1) 本件文書の内容

本件文書は、救援連絡センターを編者とし、株式会社たいまつ社から昭和五一年に「たいまつ新書」として出版されたものであり、第一章では小野悦男という人物の各種刑事施設の被収容体験が語られ、第二、第三章では「救援」等の新聞等に掲載された未決拘禁者、受刑者の刑事施設内での体験手記や各種資料を問題点毎に整理して掲載し、第四章で雑誌「情況」に掲載された代用監獄をめぐる問題点についての座談会を、第五章で現行法、法改正の動向、国際的基準等を引きながら、それまでのまとめがなされている。

本件文書は、現在の監獄の管理体制を糾弾する目的で作成された文書であつて、別紙(二)の引用記載部分や、第二、第三章にあつては、「些細な『違反』から懲罰への連鎖」、「いやがらせ→反抗→注意→懲罰の悪無限的発展」、「不服申立すれば所内で報復」、「危険な作業、安い生命」という小見出し部分や、「刑務所内での多少とも実力を伴つた(扉を蹴るなど)反抗にたいしては、たちどころに看守のリンチ、それにつづいて保安房にブチ込み、戒具の使用という非合法準合法レベルでの報復が加えられ、反抗者が一応グツタリとなつたところで、懲罰が加えられる。」(本件文書七二頁)、「刑務作業には、大部分が不馴れのうえ、古い刑務所では老朽化した設備がつかわれ、作業の安全性が軽視されている。そこで労働災害が頻発するわけであるが、これに対する手当てがお話にならない涙金ときている。」(同一〇一頁)などとの論評部分によつて、刑務所が暴力によつて受刑者を虐待し一方的に人権を剥奪していると、さらに、刑務作業においては安全性が軽視されており、労働災害が頻発していると、読む者を思わせるような記載内容となつているだけでなく、本件文書九〇、九一頁には、受刑者が自己の要求を貫徹しようとして管理部長を人質にとろうとした経緯が、「管理部長が西舎に入り分厚いトビラにカギをかけるため後ろ向きになつた瞬間、分解した裁ちバサミ」を頭部につきつけたなどと、刑務所内の規律、秩序のびん乱行為に直結する犯罪行為が具体的に記載されているだけでなく、同五五頁には、拘置所側の正座による点検を拒否し、自由行動による点検を勝ち得たとの手記につき、「私たちは、この手記を拘置所の暴力の本質を露呈したものとして読むだけでなく、それに屈しないで勝利できる証しとして読まなければならない。」などと、読む者にとつては自由行動による点検が正しい点検制度であり、これと異なる拘禁施設の点検方法を拒否し、自由行動による点検制度をかち取るべきであると読める論評部分がある。

(2) 第一審原告の性向・行状

ア 第一審原告は、昭和五〇年七月二三日、沖縄県において開催中の沖縄国際海洋博覧会に参加していたチリ共和国海軍練習船ほか二隻の船舶に点火した火炎びんを投てきするなどして、現住建造物等放火未遂等の罪により懲役八年の刑に処せられた者であるが、同年九月四日から昭和五四年三月一四日にN刑務所に移監されるまでは未決囚又は懲役受刑者としてO刑務所に在監し、その後昭和六〇年二月五日刑期の満了により同月六日に出所するまで(但し、昭和五四年一〇月一一日から同年一一月二七日までの間第一審原告が提起した那覇地方裁判所昭和五四年(行ウ)第一号移監処分取消請求事件の口頭弁論出廷のため、O刑務所及び那覇拘置支所に在監した。この点は第一審原告が明らかに争わないので自白したものとみなす。)は懲役受刑者としてN刑務所に在監した。

イ 第一審原告は、O刑務所在監中の昭和五一年一月三〇日から昭和五四年三月九日までの間に、別紙(三)記載のとおり、点検拒否等を理由に前後二一回にわたつて懲罰に処せられた(この点は第一審原告が明らかに争わないので自白したものとみなす。)。

ウ N刑務所の保安課長は、昭和五四年三月二九日、第一審原告が閲読している図書等の中に監獄解体、獄中闘争を標榜するものがあつたことから、第一審原告と面接し、他の収容者に対して監獄解体、獄中闘争を煽動する意思の有無について尋ねたところ、第一審原告は、明確な回答を避け、O刑務所とN刑務所とを同視する旨の発言を行つた。

エ N刑務所では、第一審原告が刑務作業(定役)を隷属労働視していること、また、第一審原告と他の受刑者とが直接接触する機会のある処遇を行うと、他の受刑者にいわれのない不満、不安を抱かせ、又は第一審原告の言動に反感を抱く他の受刑者との間に無用のトラブルを生じさせる原因を与え、保安上憂慮すべき事態に至ることが充分予想されるとして、第一審原告を厳正独居としたうえ、要注意者に指定した。そして、第一審原告を他の受刑者から可能な限り隔離することとして、釈放直前の受刑者や新入受刑者を短期間収容する第六舎のうち、担当台に近く職員の目が最も届きやすい西側独居房の二房と一五房に交互に収容した。

オ 第一審原告は、N刑務所において、〈1〉昭和五六年一一月一三日の作業時間中に歯を磨いていたことを注意した職員に対し、「じやまだ、出ていけ。」と暴言をはいた事実により、同月二五日、軽屏禁二〇日(文書等の閲読禁止を併科)の懲罰に処せられ、〈2〉昭和五八年八月二〇日に診療室において医師の診察を受けるに当たり、医師に対して「礼」をすることを拒否した事実により、同月三〇日、委員長訓戒に処せられ、〈3〉職員が他の新入拘禁者に挨拶を指導しているのを聞いて自己の居室内から不当な指導であるとして一度ならず抗議しただけでなく、別紙(四)の(三)の(2)、(3)に記載のとおり抗議行動を行い、〈4〉昭和五七年五月二七日の作業中願箋を書いていたため職員から注意を受けたがこれを無視するなど別紙(四)の(四)の(1)ないし(3)、(5)、(6)記載の規律違反行為をし、また、規律違反には至らないまでも、職員に対して命令口調でものを言つたり、職員の注意や話しかけを無視するなど反抗的態度で職員に接した。

カ 第一審原告は、職員の指導に従わず、毎日のように規律違反を繰り返したため、第六舎の他の受刑者たちがそれを察知して反発し、あるいはこれに同調して第一審原告に注意をしている職員に対し「なにをしている。」などと抗議して騒然とした雰囲気になることがあつた。更に、第六舎に収容されている間に第一審原告の行状を知つた新入受刑者が、その後一般の受刑者の中に入つてこれを伝えることにより、第一審原告の行状が第六舎以外の居室に収容されている受刑者の知るところとなり、職員の指導は一般の受刑者には厳しいのに第一審原告には甘いという不満を口にする受刑者がいた。

(3) N刑務所の収容状況等

ア N刑務所は、収容分類級の中で生活指導が困難で犯罪傾向の進んでいるB級受刑者を収容する施設であるが、B級受刑者の中でも最も生活指導の困難な暴力団関係受刑者が、本件処分当時約四二パーセントを占めていた。しかも、本件処分を行つた昭和五八年一一月一七日現在の収容人員は収容定員六九五人に対して七三二人であり、収容率一〇五パーセントの過剰拘禁であつたのに対し、受刑者の生活指導に直接当たる職員は一一五人にすぎず、職員一人当たりの負担率は六・三七人であつた。当時職員一人当たりの負担率は全国平均が四・三四人であり、N刑務所は負担率において二・〇三人過重となつていた。

イ ところで、昭和五七年四月以前のN刑務所においては、暴力団関係受刑者等が職員の生活指導を無視する態度に出て、他の受刑者に対するいじめなどが多く、そのための怠業や規律違反が多く発生し、刑務所内の規律や秩序は、他のB級施設と比べると悪い状態であつた。その後、職員の士気を高め、受刑者に対する生活指導を強化する方策がとられたため、一時増加したN刑務所全体の懲罰件数も昭和五八年度には減少傾向を示してきたが、本件処分当時、N刑務所の規律や秩序はまだ安定した状態とはなつていなかつた。

ウ ちなみに、第一審原告がN刑務所に移監される前に収容されていたO刑務所には、各種の収容分類級の受刑者が混在して収容されていたが、第一審原告が本件文書の第二回目の閲読を許可された昭和五四年当時におけるO刑務所の収容人員は、収容定員三一九人に対して約二五〇人と少なく、収容率は約八〇パーセントにすぎなかつたうえ、これに対して八八人の職員が生活指導に当たつていたから職員一人当たりの負担率は二・八人と少なく、しかも、暴力団関係の受刑者の比率はN刑務所よりも少なかつたために、N刑務所に比べるとO刑務所の方が生活指導は容易であつた。

(二)  以上認定の事実を前提に、N刑務所長がした本件処分についてその裁量権の逸脱濫用があるか否かにつき判断する。

懲役刑は、受刑者を社会から隔離して自由を剥奪し、これに定役(刑務作業)を課すことにより犯罪に対する応報及び教化、矯正して更生させることを目的とするものであり、定役すなわち刑務作業が右教化、矯正上重要な位置を占めていることはいうまでもない(監獄法二四条一項参照)ところ、本件文書には刑務作業の安全性が軽視され、労働災害が頻発している旨の記述部分等があつて、刑務作業に対する勤労意欲及び更生意欲を減殺させる内容となつており、刑務作業による受刑者の教化、矯正上明らかに不適切であるといわなければならず、刑務作業を隷属労働であるとみなしている第一審原告に、本件文書が影響を与え、刑務作業を通じての更生が阻害されることは明らかである。

また、前記管理部長を人質にとろうとした部分の記述は、刑務事故を具体的に記述したものであるだけでなく、犯罪の手段、方法を詳細に伝えたものであつて、右内容は、刑務所内の秩序をびん乱するものであり、ひいては逃走にもつながりかねないものであることはいうまでもない。

更に、受刑者の教化、矯正のためにも、また、集団拘禁施設としての刑務所の規律や秩序を維持するためにも、受刑者と刑務所職員との間の最低限度の信頼関係の維持が必要であるところ、本件文書は刑務所職員が暴力によつて受刑者を虐待し一方的に人権を剥奪している趣旨の記載が随所にあつて、刑務所又はその職員に対する不信感や敵対心をあおる内容となつており、受刑者の教化、矯正上不適切であるだけでなく、規律違反行為を誘発し、刑務所内の秩序維持に支障をきたすおそれがあるものといわなければならない。

しかも、在監者は社会各般の階層から成り、しかも一般社会からその意に反して強制的に隔離収容されたという特殊な環境と在監者の性格や心理状態等によつて精神の平衡を失いがちであることから、些細なことを契機に受刑者の不平、不満が昂じ、これが他の受刑者に伝播して刑務所内の秩序維持に支障をきたす一般的危険があるところ、前記認定のとおり、N刑務所において、受刑者の中には第一審原告に反感を持つ者や、第一審原告への刑務所側の取扱いに不満を持つ者がいて、このことを口にする受刑者もいたこと、及びこのことから刑務所内が喧騒に陥ることがあつたことなど刑務所内の秩序維持上困難な状況が現実にあつたことからすると、右危険性は具体的、現実的なものであつたといわざるをえない。

更に、点検時の挨拶を指導している刑務所職員に対し、不当な指導であると抗議している第一審原告の言動からすると、自己の主義、主張を他の受刑者に宣伝し、煽動することが予想され、しかも、O刑務所における別紙(三)の懲罰行為及びN刑務所における第一審原告の前記行状などによれば、第一審原告は、第一審被告及び刑務所を敵視し、点検拒否を抗議行動の一つとして位置づけていることが認められるのであつて、このような考えをもつ第一審原告が、自由行動による点検(点検は、収監されている個人や員数の確認のみならず動静や健康状態等を確認する重要なものであり、自由行動による点検はその目的に反するものであることはいうまでもない。)を獲得した受刑者の手記のみならず、これを戦いの勝利であると論評する部分や前記刑務所職員が暴力によつて受刑者を虐待し一方的に人権を剥奪している趣旨の記載部分がある本件文書を閲読したとすれば、第一審原告の規律及び秩序違反に拍車をかけることは明らかであるばかりでなく、他の受刑者にも同調を求めることが充分予想されるといわざるをえない。

右第一審原告の性向や行状及び本件文書の内容に加え、本件処分当時、N刑務所においては、他の刑務所に比べ受刑者数に対して職員の数が少なく、また、刑務所内の規律及び秩序が安定して落ち着いた状況にあつたとはいえず暴力団関係者が闊歩する状況に立ち戻り、規律及び秩序が再び乱れる可能性があつたことなどの事情を勘案すると、本件文書を閲読することにより拘禁の目的を害し、かつ、N刑務所の正常な管理運営を阻害する相当の蓋然性があるとしたN刑務所長の判断は合理的であり、N刑務所長がした本件処分は、その裁量権の範囲内にあつたものであるといわなければならない。

なお、本件文書には、法文や資料、統計などが掲載されており、また、個々的には閲読を禁止する必要のない部分があるが、これらは本件文書の一部にすぎず、閲読禁止部分を削除、抹消するとなると、本件文書の大半が削除、抹消されることになつて書籍としての効用を廃することになり、本件文書全体を閲読不許可としたN刑務所長の措置は合理性を有するものとして是認できるといわなければならない。

(三)  第一審原告は、右閲読不許可につき次のとおり主張するので、以下判断する。

(1) 第一審原告は、本件文書の閲読を希望した理由は長崎地方裁判所昭和五六年(ワ)第七六号事件の資料として用いるため、また学習のためであると主張するが、当審における第一審原告本人尋問の結果によれば、右事件は当時既に結審していたことが認められ、右によると、本件文書の閲読目的が訴訟準備にあつたとは考えられない。なお、学習の目的があつたとしても、前記本件文書の内容からして、懲役刑の目的を阻害し、また、刑務所の規律及び秩序を乱すおそれがあるものとして、その閲読が許されないことは前記のとおりである。

(2) 第一審原告は、O刑務所においては本件文書の閲読を二回許可されたこと、そして、右二回の許可を受けて本件文書を閲読したのに、第一審原告がO刑務所の規律及び秩序を阻害するようなことはなかつた旨主張するところ、O刑務所において第一審原告が本件文書の閲読を許可されて二回にわたり閲読したことは当事者間に争いがない。しかしながら、文書等の閲読の許否は、刑務所長が各刑務所の実情を踏まえ個別に判断すべきであり、O刑務所において本件文書の閲読が許可されたからといつて、そのことから直ちにN刑務所における本件処分が違法であるということはできない。

前記当事者間に争いのない事実に加え、当審における第一審原告本人尋問の結果によれば、第一審原告が本件文書を一回目に閲読した当時第一審原告は未決拘禁者の立場にあつたこと、二回目は沖縄地方裁判所で行われた沖縄地方裁判所昭和五四年(行ウ)第一号移監処分取消請求事件の口頭弁論期日に出頭するためにN刑務所から移監されていた時であつて、同刑務所の在監期間は昭和五四年一〇月一一日から同年一一月二七日までの四七日間にすぎなかつたことが認められ、これに反する証拠はない。

ところで、未決拘禁にあつては拘禁目的が逃走と罪証湮滅の防止にあり、被拘禁者の更生が拘禁の目的となるものではないのに比べ、懲役受刑者にあつては更生が重要な拘禁目的の一つであり、刑務作業も右更生において重要な位置を占めていることは前記のとおりである。また、同じ懲役受刑者としての立場であつても、他所の裁判所の訴訟における口頭弁論に出頭するためなど在監関係が一時的、暫定的な場合にあつては、刑務作業も一時的、暫定的なものにならざるをえず、その場合においては更生のための処遇にも限界があることは否定できないし、刑務所職員と被拘禁者との信頼関係のみならず、受刑者同士の関係も、そうでない場合と大いに異なることは多言を要しない。右のような考慮すべき諸事情及び各刑務所の管理、保安上の相違を考えると、O刑務所において本件文書の閲読が許可されたからといつて、N刑務所における本件処分が違法であるということはできない。

そして、第一審原告がかつて閲読し、現にその概略を記憶している本件文書といえども、改めて閲読すれば新たな感銘力を受けることは明らかであり、前記認定のN刑務所における第一審原告の行状等によれば、本件文書を第一審原告が閲読することにより、第一審原告が以前にも増して反抗的態度で職員と接し、また、他の受刑者に対する職員の指導に抗議し、他の受刑者を煽動するおそれもきわめて高く、更に、第一審原告の言動や、第一審原告に対する刑務所の対応に影響されて一般の受刑者の不満や反発も一層強まることが充分予想され、第一審原告の更生の上からも、また、N刑務所の正常な管理運営上からも右閲読を不相当であるとしたN刑務所長の本件処分は、合理性があるものというべきである。

また、第一審原告は、第一審原告が本件文書を閲読しても、第一審原告がO刑務所の規律及び秩序を阻害するようなことはなかつた旨主張するところ、O刑務所における前記懲罰行為に照らし、O刑務所の規律及び秩序を阻害することがなかつたとはいえず、更に、本件処分が刑務所の規律及び秩序の維持だけを目的とするものではなく、更生のためにも不適当であるというものであることは前記のとおりであり、第一審原告の主張は理由がない。

(3) 第一審原告は、第一審原告がN刑務所に収監された当初から、他の収容者に対する影響の排除という目的で四区六舎に独居拘禁されており、他の収容者に働きかけるということは不可能であつた旨を主張し、第一審原告がN刑務所の四区六舎に独居拘禁されていたことは当事者間に争いがないところ、<証拠略>によれば、本件処分当時四区六舎の舎房には第一審原告のみならず他に多くの受刑者等が在監し、一人の職員で戒護していたこと、同舎房は受刑者の一人が大声を出せば他の受刑者にも聞こえる構造となつていたことが認められ、右認定の事実に、第一審原告が挨拶を指導していた職員に抗議したことが一度ならずあつたことからすると、第一審原告が他の収容者に働きかけることが不可能であつた旨の主張は理由がない。

(4) 第一審原告は、本件処分は第一審原告が昭和五六年七月二〇日N刑務所長を相手とする訴訟を提起したことに対する報復的処分として恣意的になされたものであり、このことは、N刑務所が第一審原告に対し本件文書と同様の内容を有する「救援」等の新聞等の閲読を許していたのに、昭和五六年九月以降本件文書の閲読を禁止したことや差入れのあつた「救援」等の新聞の閲読について、その一部を抹消、削除しだしたことからも明らかである旨主張するところ、昭和五六年九月以降第一審原告に対して差し入れられた「救援」等の新聞の閲読について、N刑務所がその一部の抹消、削除をしたことは当事者間に争いがない。しかしながら、本件処分が相当であつたことは前述のとおりであり、本件処分をN刑務所長の報復的処分であるとして違法であるということはできず、また、本件全証拠によるも、右新聞等の一部の抹消、削除が報復的処分であるとは認められない。

なお、本件文書と同一内容の新聞等の閲読を許可されていた旨の主張については、<証拠略>によれば、これらの大半は在監者に団結を呼び掛け、監獄の管理体制を糾弾し、在監者の待遇改善などを要求するものではあるが、そのほとんどはスローガンとして述べられているにすぎないのに比べ、本件文書の記述は、監獄の管理体制を糾弾するという点では前記新聞等と同様であるが、それにとどまらず獄中体験談と称して具体的事実を摘示し、読む者の施設及び職員に対する不信感、反抗心をいたずらにあおりたてる内容となつているうえ、監獄内の事象を幅広く、しかも集約的に取り上げて記述しているので、前記新聞等と比較すれば読む者に与える影響力は格段に大きいものと言わなければならない。したがつて、N刑務所長が前記新聞等についてその閲読を許可しながら本件文書については、その閲読を許可しなかつた判断には充分な合理性があり、N刑務所長に許された裁量の範囲内にあるものといわなければならない。また、前記新聞の中には刑務所や拘置所の職員が被拘禁者に対し暴力を振るつた旨の記事や手記等が記載されているものもある(<証拠略>)が、右は個別の被拘禁者に対する暴力を扱つた記事であるのに対し、本件文書はその小見出しや論評部分から、刑務所や拘置所の職員のほとんどが被拘禁者に対し暴力を振るつたり、いやがらせをすると理解しかねない記載内容となつており、本件文書の影響は前記暴力記事を扱つた新聞等と比較にならないほど大きいものといわなければならず、閲読を許された文書中に同種記事があるからといつて、本件処分を違法とするものではない。

なお、第一審原告は、本件文書の閲読につき、O刑務所においては当時O刑務所の管理部長であつた宮崎大輔が閲読を許可したのに、本件処分においてはN刑務所の管理部長としてその交付手続に関与しながら不許可処分とした旨主張するところ、<証拠略>によれば、N刑務所においては、文書等の閲読に関しては、許可を相当とするものについては教育課長が、不許可を相当とするものについては教育部長が、それぞれ決定して受刑者にその旨告知していたことが認められ、本件処分について、N刑務所の管理部長が関与した事実は認められない。

三  以上のとおりであつて、N刑務所長の本件処分は適法な処分であり、本件処分が違法であるとして、損害賠償を求める第一審原告の請求は、その余につき検討するまでもなく理由がないので棄却すべきである。

そうすると、これと結論を一部異にする原判決は相当でないので、第一審被告の控訴に基づき、原判決を主文二、三項記載のとおり変更することとし、また、第一審原告の控訴は理由がないので棄却することとし、民事訴訟法九六条、八九条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判官 友納治夫 榎下義康 横山秀憲)

【参考】第一審(長崎地裁昭和五九年(行ウ)第二号・(ワ)第四七一号 昭和六〇年五月二二日判決)

主  文 <略>

事  実 <略>

理由

一 本件処分がなされたこと、原告が昭和六〇年二月五日その刑期が終了して同月六日N刑務所を出所したこと、その間原告が本件図書の閲読を妨げられていたことの各事実は当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、原告はN刑務所出所後は本件図書の返還を受け自由にこれを閲読できる状況にあること(原告は本件図書を<証拠略>として提出している。)が認められ、右認定に反する証拠はない。

二 右の事実によれば、原告にはN刑務所出所後は本件処分を取消す実益は失われており、右取消を求める昭和五九年(行ウ)第二号事件の訴の利益はないものと言わねばならない。

なお右のとおり、本件図書は今では原告のもとにあつて被告N刑務所長は所持保管していないことは明らかであるから、同被告に対し本件図書の提出を求める文書提出命令の申立はその理由がないことになるのでこれを却下する。

三 次に原告は、本件処分の違憲・違法を理由として、本件処分による損害の賠償を求めているので、本件処分の適否について判断する。

1 懲役刑の執行は、受刑者を社会から隔離し、その自由を拘束することを主眼としながらも、その執行の過程を通じて、他日受刑者が社会に復帰する場合に備えて、これを教化、矯正し、もつてその更生を図ることをも目的としているから、その目的のために必要がある場合には、受刑者の身体的自由及びその他の行為の自由に一定の制限が加えられることは、やむをえないところというべきである。

また、監獄は、多数の被拘禁者を外部から隔離して収容する施設であり、右施設内でこれらの者を集団として管理するにあたつては、内部における規律及び秩序を維持し、その正常な状態を保持する必要があるから、この目的のために必要がある場合には、受刑者の身体的自由及びその他の行為の自由に一定の制限が加えられることは、やむをえないところというべきである。そして、この場合において、これらの自由に対する制限が必要かつ合理的なものとして是認されるかどうかは、右の目的のために制限が必要とされる程度と、制限される自由の内容及び性質、これに加えられる具体的制限の態様及び程度等を較量して決せられるべきである。

ところで、各人が、自由に、さまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取する機会をもつことは、その者が個人として自己の思想及び人格を形成・発展させ、社会生活の中にこれを反映させていくうえにおいて欠くことのできないものであり、また、民主主義社会における思想及び情報の自由な伝達、交流の確保という基本的原理を真に実効あるものたらしめるためにも、必要なところである。それゆえ、これらの意見、知識、情報の伝達の媒体である新聞紙、図書等の閲読の自由が憲法上保障されるべきことは、思想及び良心の自由の不可侵を定めた憲法一九条の規定や、表現の自由を保障した憲法二一条の規定の趣旨、目的から、いわばその派生原理として当然に導かれるところであり、また、すべて国民は個人として尊重される旨を定めた憲法一三条の規定の趣旨に沿うゆえんでもあると考えられる。しかしながら、このような閲読の自由は、その制限が絶対に許されないものとすることはできず、それぞれの場面において、これに優越する公共の利益のための必要から、一定の合理的制限を受けることがあることもやむをえないものといわなければならない。本件におけるように、懲役刑の執行により監獄に拘禁されている者の新聞紙、図書等の閲読の自由についても、受刑者の教化、矯正という懲役刑の目的のためのほか、前記のような監獄内の規律及び秩序の維持のために必要とされる場合にも、一定の制限を加えられることはやむをえないものとして承認しなければならない。しかしながら、閲読の自由は憲法に由来する基本的人権ともいうべきものであるから、監獄内の規律及び秩序の維持のためにこれら被拘禁者の新聞紙、図書等の閲読の自由を制限する場合においても、それは、右の目的を達するために必要と認められる限度にとどめられるべきものである。したがつて、右の制限が許されるためには、当該閲読を許すことにより右の規律及び秩序が害される一般的、抽象的なおそれがあるというだけでは足りず、被拘禁者の性向、行状、監獄内の管理、保安の状況、当該新聞紙、図書等の内容その他の具体的事情のもとにおいて、その閲読を許すことにより監獄内の規律及び秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生ずる蓋然性があると認められることが必要であり、かつ、その場合においても、右制限の限度は、右障害発生の防止のために必要かつ合理的な範囲にとどまるべきものと解するのが相当である(最高裁昭和五八年六月二二日判決、民集三七巻五号七九三頁参照)。

2 そこで、原告に本件図書の閲読を許すことにより、N刑務所内の規律及び秩序の維持について何らかの障害が生ずる蓋然性の有無について判断する。

(一) 当事者の主張五、4、(三)、(1)の事実(原告が服役するに至つた犯罪事実等)は当事者間に争いがない。

(二) <証拠略>を総合すれば次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(1) 本件図書は、被収容者の手記などにより、日本の監獄においては、刑務所職員などによる被収容者に対する暴力行為その他被収容者の基本的人権を無視する行為が多数存在しているとして、現在の監獄の管理体制を糾弾する内容となつている。

(2) 原告は、O刑務所在監中から、現在の監獄の管理体制が不当なものであると考え、その当時から一貫して原告において不当と考える監獄内の規律、刑務所職員の指示などには従わず、あるいはその根拠などをしつこく糺すなどの抵抗をしばしば行うなど、消極的な抵抗を繰り返しており、N刑務所内においては最も処遇困難な被収容者であつた。

(3) N刑務所は、主として犯罪傾向のすすんだ改善困難なB級受刑者を拘禁する施設であり、本件処分時の昭和五八年一一月一七日当時の被収容者は定員六九五名のところ七三二名が在監し、これを看守一一五名で分担戒護していたが、看守一人当りの戒護担当割合も全国平均四・三四名のところ六・三七名となつていた。

(三) 一方前掲各証拠によれば、次の事実が認められ右認定に反する証拠はない。

(1) 原告はO刑務所在監中に本件図書を数回閲読しており(この事実は当事者間に争いがない。)、N刑務所に移監された後は、本件処分の前後を通じて本件図書と同内容の記事を掲載した「監獄通信」、「救援」、「氾濫」などの新聞類やビラ、パンフレット等を多数閲読している。

(2) 一方、N刑務所側においては、O刑務所在監中の原告の言動その他から、処遇上原告は他の被収容者との共同生活に適さないものとして、さらに、他の被収容者にその影響が及ばないように、もつぱら未決勾留中あるいは分類審査中の被収容者のみを収容する四区六舎において独居拘禁に付していた。

(3) 原告の反抗態様も、N刑務所においては、刑務所職員に暴力的行為に出、あるいは大声を上げるなどの積極的な抵抗行動に出ることはなく、そのため、少なくとも昭和五七年一二月ころからは規律違反などを理由に懲罰を受けたことはなかつた。

(四) 右(一)・(二)の各事実によれば、本件図書の内容はN刑務所にとつて好ましいものではなく、原告が現在の監獄の管理体制を不当なものと考えこれに反抗する姿勢をとつてきたことからみれば、本件図書の閲読許可により監獄内の規律及び秩序が害されるおそれがないとはいえないが、更に右(三)の各事実によれば、原告はすでに本件図書を数回閲読し、更に同内容の新聞等多数閲読しており、その抵抗は長期間に及びしかもN刑務所においては消極的な抵抗に終始しており、現にとられているN刑務所の管理体制と併せ考えれば、本件処分当時において原告に本件図書を閲読させたとしても、原告の言動に変化を生ずるものとは考え難く、N刑務所内の規律及び秩序の維持について放置できない程度の障害が生ずる蓋然性があつたものと認めるのは困難である。

以上のとおり、本件処分はその必要性がないのになされたもので違法なものである。

四 本件処分は被告国の公権力の行使としてなされたものであるから、国家賠償法一条一項により被告国はこれによつて原告に生じた損害を賠償すべきところ、原告は本件処分により出所まで一年二か月余りの長期間にわたり本件図書の閲読を妨げられたが、一方、原告は本件図書をすでに数回閲読していることや本件処分の前後を通じて同内容の図書類を多数閲読していることを併せ考慮すると、その損害を慰藉するには一万円をもつてするのが相当である。

五 以上のとおりであるから、昭和五九年(行ウ)第二号事件は不適法なものとしてその訴えを却下し、昭和五九年(ワ)第四七一号事件については原告の請求は一万円の限度で理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担については行政事件訴訟法七条、民訴法八九条、九二条を、仮執行宣言については同法一九六条一項を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 渕上勤 加藤就一 小宮山茂樹)

(以下略)

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